Interview

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あなたにぴったりの留学を
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大石恵子さん/バレリーナ大石恵子さん/バレリーナ プロフィール1993年 福岡県久留米市フジタバレエ研究所にてバレエを始める
1997年 田中千賀子ジュニアバレエ団に入団
1999年 北九州&アジア舞踊コンクールジュニア2部入選
2001年 NBAバレエコンクールジュニア2部入選
こうべ全国洋舞コンクールジュニア2部入選
青少年のためのバレエコンクールジュニア2部 3位
2002年 こうべ全国洋舞コンクールジュニア1部 7位
青少年のためのバレエコンクールジュニア1部 入選
全日本バレエコンクール セミファイナリスト
2003年 東京新聞舞踊コンクールジュニア1部 入選
こうべ全国洋舞コンクールジュニア1部 4位
北九州&アジア舞踊コンクールジュニア1部 6位
2004年 ローザンヌ国際バレエコンクール セミファイナリスト
こうべ全国洋舞コンクールジュニア1部 3位
ドイツ「ジョンノイマイヤーーハンブルグバレエスクール」留学
2006年 ハンブルグバレエ・スクールパフォーマンス出演
ハンブルグバレエカンパニー公演 ラ・フィユ マルガルテ にわとり
眠れる森の美女  女の子
ロミオとジュリエット  仮面舞踏会・花屋
エアステ・シュリッテ
2006年 ドイツ「ジョンノイマイヤーハンブルグバレエスクール」卒業
学校長マリアンヌクルーゼより推薦され
「カナダナショナルバレエスクール」PSP入学
2007年 PSPにて1年間のプログラムを終了する
2007年 帰国後、藤田美知子に師事
2009年4月 東京シティ・バレエ団入団
東京シティ・バレエ団の全ての公演に出演
2011年 平成23年度「橘秋子記念財団」奨学生に選ばれる
2015年 ビクトールウラーテ・バレエカンパニー入団
-スペインにすぐ戻られるんですよね。
大石:はい。明日帰ります。
-忙しいときにすいません。ありがとうございます。では早速始めさせていただきたいんですが、まず大石さんの簡単な自己紹介をお聞かせ願えますか。今どういったお仕事をされているのか、という感じですね。
大石:今はスペインマドリードのビクトールウラーテというバレエカンパニーでダンサーとして働いています。
-いつ頃からお仕事をされているんですか。
大石:そのカンパニーは今3年目です。
-ご留学はまず最初にハンブルクバレエにいらっしゃったんですか。
大石:はい。バレエスクールですね。
-それはどういった経緯でご入学されたんですか。
大石:学校のオーディションを受けて、1月にローザンヌ国際バレエコンクールってあるじゃないですか。それに出場するのは、留学するためという感じで一応出たんです。そのときに学校のほうのオーディションも受けに行って、それで、来てもいいよ、というこ
とでそちらに行きました。
-その頃はおいくつでらっしゃったんですか。
大石恵子さん/バレリーナ大石:15歳です。学校に行き始めたのは16歳からだったんですけど。
-中学をご卒業されてすぐ、ということですね。
大石:そうですね。高校1年生のときは日本にいて、2年生になるときに行きました。
-ハンブルクのほかにはいくつか受けられたんですか。
大石:ハンブルクと、ミュンヘンのバレエスクールもオーディションに行って、両方から声はかかったんですけど、やっぱりハンブルクのほうに行きたいなと思って。
-なぜミュンヘンではなく、ハンブルクの方に行きたいと思われたのですか。
大石:私が福岡で習っていた先生の娘さんもハンブルクの学校を卒業していて、先生のすすめもあってハンブルクに決めました。
-実際に向こうに行かれてどうですか。日本のレッスンとはちょっと違うと思いましたか。
大石:やはり日本だと、特に留学を目指したり、ダンサーになりたいという子はまずコンクールに出場するレッスンをするので、バリエーション1曲を踊るための練習をしますけど、学校だと基礎をすごく重視するので、1人で踊れることよりも、跳んだり回ったり
の派手なことは1年間ほぼさせてもらえなかったけれど、基礎の部分を強く学びました。
-向こうには同級生で日本人の方はどれぐらいいらっしゃったんですか。
大石恵子さん/バレリーナ大石:私の年はすごく多くて、同じクラスに男の子が3人と女の子が私ともう一人いたので5人ですね。
-日本人のダンサーと外国人の方、比べてみて感じられることはございましたか。
大石:日本人は器用なので、先生に言われたことはすぐできるし、注意とかを聞く注意力というのはすごくあるんですけど、コミュニケーションがオープンじゃないというか。あとやっぱり言葉ですね。
-ハンブルクではドイツ語でのレッスンですか。
大石:英語をしゃべる先生もいたんですけど、ここはドイツだからドイツ語でレッスンします、という先生もいました。
-ドイツ語は勉強されていたんですか。
大石:本当に少しだけ、数の数え方とか挨拶とか自己紹介を勉強して行ったぐらいで、やはり実践すると全然聞き取れないし、そのときまだ英語もしゃべれなかったので、英語で言われてるのかドイツ語で言われているのかすらもわからないぐらいの学力だったの
で、それはすごく困りました。
-学校に入学されてから現地で英語やドイツ語の学校に通われましたか。
大石:英語はとにかく生活の中で学んで、ドイツ語は外から来ている子たちのためのクラスが週に1回か2回あって、そこでドイツ語は学びました。
-基本的にはバレエだけで、一般的な授業はないんですね。
大石恵子さん/バレリーナ大石:はい。学校の授業はなくて、バレエの歴史とか音楽とか、そういう勉強です。
-振り付けのレッスンなどもありましたか。
大石:振り付けもありました。そのときは本当に苦痛でしょうがなくて。先生に言われたことを上手に踊ることが日本ではすごく重視されるけど、向こうだと自分で発想を豊かにして、自分で何かを作るというのが多かったので、最初は何すればいいかわからない
し、正解がないっていう、そういう踊りになれなかったです。何をしても正解なのに、最初は何もできなかったです。
-その授業は1年目から入っていたのですか。
大石:はい。
-ハンブルクのスクールは3年でご卒業なさったんですか。
大石:ハンブルクは2年間行きました。
-ジョン・ノイマイヤーという偉大な振り付け師が芸術監督をされてるバレエ団の学校だということもあるんですが、実際彼の手ほどきを受けることはあるんですか。
大石:学生のときは直接はないんですけど、カンパニーとスクールの距離がすごく近くて、私たちは7年生、8年生というシアタークラスっていうんですけど、そこにいる生徒たちは、例えば眠れる森の美女の横で立っている役とか、踊らないけどお芝居している役
とか、そういうのでよく公演に出させてもらっていたので、近くでダンサーを見たりリハーサルに参加させてもらったりとかで、プロとの距離というか、カンパニーへの憧れとか、ノイマイヤーの作品を踊れることとか、そういうのはすごいありました。
-なかなか貴重な体験ですよね。その後、カナダのナショナルバレエスクールのほうに入学されますが、プロのほうには行かず、スクールに改めて行かれるっていうのは、ご自身の中でなにかあったんですか。
大石恵子さん/バレリーナ大石:いえ、本当は、ハンブルクを卒業する年にみんないろんなカンパニーのオーディションを受けるんですけど、それでどこからも声がかからずに、卒業したあとどうしよう、というときに、ハンブルクの校長先生がもう1年学校に行ってみたらどうか、っていう
ふうに言ってくれて。そのとき、カナダナショナルとハンブルクとパリオペラ座、フランスの学校と、3校で共同公演みたいなものをカナダナショナルでするという年で、それでコネクションがあったので、校長先生が推薦してくれて、カナダナショナルに普通に入
るのは大変なので、それはラッキーだったなと思って。そこで1年プロフェッショナルクラスみたいな、学校を卒業した人が行くクラスで1年間学びました。そのときもオーディションに行ったんですけど、どこもダメで、という感じなので、子どもたちが憧れるよ
うなバレリーナの人生では全然ないです。
-でも、ハンブルクの学校もカナダナショナルもそんなに簡単に入れる学校ではないので、すごく貴重な経験かなとは思います。ハンブルクの学校からカナダナショナルのほうに移られて、環境が変わって、ご自身の中で感じられたことはございましたか。
大石:カナダナショナルはどちらかというとクラシックバレエを重点的に学ぶ学校だったんですけど、ハンブルクはとにかくコンテンポラリーとかモダンのクラスが多くて、すごく基礎を叩きこまれたので、そこは自分の強みなのかなというのは感じました。仕事
を探すときに、トウシューズは履きたいなと。ドイツにはいろんなカンパニーがあるけれども、やっぱりクラシックはやりたいなと思っていたんですけど、でも外国人の綺麗な子たちの中に入ってクラシックをやるとなったら、もう見た目で負けるし、自分の中で
は勝っていると思っていても、見た目で負けてるから、それは仕事はもらえないし、学校のクラスでも隣で金髪で色白くて背が高い子が立っていたら、それだけで負けるじゃないですか。でもそのときに、コンテンポラリーの技術とか、手足が短くても動きで見せ
れるというのが強みになるのかな、とは感じました。
-ハンブルクの学校ではどのようなタイムスケジュールでお勉強されてましたか。
大石:毎朝10時から11時半までがバレエのレッスンです。12時から1時半までがモダンのレッスンか、バレエのバリエーションのレッスンか、あとはパドゥドゥクラスで、そのあと1時半から2時半までお昼の休憩で、私たちの留学生組は大体2時半から3時半までドイ
ツ語の練習があったりなかったりですね。そのあと、また5時半から7時までが、日によってはコンテンポラリーだったり、振り付けの授業で。あとは、公演が近づいてきたら、スクールパフォーマンスの練習とかもありました。
-カナダナショナルのほうはどんな感じですか。
大石:カナダナショナルは、朝の10時15分から、多分12時45分くらいまでがバレエのレッスンがみっちりあって、そのあとお昼休憩で、そのあと、コンテンポラリーかパドゥドゥかバリエーションのクラスがあって、あとはコーチングというのもありました。一人
ずつ先生と1対1で、ここが弱いからこういうエクササイズをしたほうがいいよ、とか。で、私が行っていたポストセカンドリープラグラムというクラスは、大体4時とか5時には終わっていました。
-お住まいはシェアハウスみたいなものを探されたのですか。
大石:そうですね。一人で。
-じゃあ自炊も全部して。
大石恵子さん/バレリーナ大石:お昼と夜は学校で食べさせてもらっていて。特別に食べていっていいよ、って。でも休みの日は作ったりしていました。
-ドイツのハンブルクのときは寮ですか。
大石:1年目だけ寮で、2年目はカンパニーのダンサーとシェアしていました。楽しかったです。
-カンパニーのダンサーとシェアなんて刺激がありそうですね。そういうのはお友達同士声をかけ合って、誘われたんですか。
大石:そうですね。カンパニーのダンサーも私がスクールに入った年に上の学年にいた子たちなので、スクールでも1年かぶっていて、彼女たちがカンパニーに入るときに私が一人暮らしをしなくちゃいけないとなったときに、彼女たちのルームメイトが1人卒業し
て出ていったので、誰かいないかということで、探して声をかけてくれて。
-大石さんがいらした年はスクールからは何人ぐらいカンパニーに上がったんですか。
大石:私の年は3人です。
-1クラス何人ぐらい生徒がいらっしゃるんですか。
大石:女の子が7人、男の子が5人とかですね。
-そのうちの3人がカンパニーに。
大石恵子さん/バレリーナ大石:はい。
-なかなか、狭いような広いような。
大石:そうですね。でも多分、今のほうが難しいのかな。年によると思うんですけど。
-その後日本に戻られて、バレエ団に入られて。ちなみにスペインのほうのオーディションはどういう経緯で行かれたんですか。
大石:日本に帰ってきたときは、バレエやめようかなと思って。もともと日本で踊る気がなくて、それでバレエを全然やっていない時期が4、5カ月ぐらいあって。ちょうどそのときにバレエを初めて習った先生にばったり会って。私が留学したことも知っているし
、今何しているの?と聞かれて、もうバレエやってないです、って話をしたら、お金を出してくれた家族とか応援してくれている家族のためにも踊ったほうがいいんじゃないか、って言われて、別に外国じゃなくても、日本ででも踊る場所はあるんだから続けなさ
い、って言われました。それで東京のバレエ団を探そうということになって、ちょうどそのときにオーディションやっていたので、東京シティ・バレエ団を受けて、という感じです。
-その後、スペインのほうはどういった感じで受けられたんですか。
大石:もともと外国でずっと踊りたかったから、東京シティ・バレエ団に入ってもいつかは外国に行きたいな、っていうのがどこか片隅にあって。東京シティ・バレエ団で6年踊ったんですけど、やっぱり4、5年経つと自分がどれくらいの位置にいるかってわかるじ
ゃないですか。これ以上は上に行けないな、とか。ソリストは踊れるけど主役にはさせてくれない、とか。そんな時に、バレエ協会の舞台にちょうど声をかけてもらって出たんです。そのときに、日本の中でフリーでやっているダンサーとか、バレエ団に所属しな
いでも生き生きと踊っているダンサーをいっぱい見て、やっぱりバレエ団に入っていればある程度守られている部分もあるけど、自分で何かしようというふうにはならないから、それで、もうバレエ団に所属する必要はないんじゃないかな、みたいに思いました。
ちょうどそのときに、バレエ団にゲストで振り付けをしてくれる人が、レオ・ムジックっていうんですけど、ヨーロッパから来てくれて、私、恵子に振り付けしたいから、って言ってくれて、彼の作品を踊って。リハーサル中に彼が、ダンサーとしてのキャリアが
終わるときに、もっとこうしておけばよかったな、とか後悔するんだったら今やったほうがいいって言ってくれて。ちょうどそういうふうに思って悩んでいた時期だったから、じゃあオーディション行こうと思って、その公演が終わったらバレエ団辞めようと思っ
て、そこで決心がついた感じです。それで、公演が終わった日に、今日で辞めますと言って、オーディションに行ったらとんとんと話が決まりました。
-スペイン以外は受けなかったんですか。
大石:ドイツも受けて、あとオーストリアのカンパニー、ドイツに近いんですけど、そこも一応契約をもらって。スペインってバレエじゃない感じがするんですけど、私もスペインにカンパニーがあるなんて知らなかったし、でもなんとなくのフィーリングでこっ
ちにしようかな、と。
-スペイン語はどういうふうに習得されたんですか。
大石:スペイン語は、ほんの行く2カ月前、マンツーマンでレッスン受けて、あとは友達としゃべったりしました。でも、今は怖くないというか、自分は英語をしゃべれるから、留学したときよりはスムーズというか。ただ、スペイン人が英語をしゃべらないので、
私が英語をしゃべれてもダメでしたね。
-ドイツとカナダとスペインに行かれていますが、先ほど語学の面で困ったとおっしゃっていましたが、それ以外に何か困った点はございましたか。食べ物が違うとか。
大石:そうですね、それですごいお菓子ばかり食べていました。ドイツって夜ご飯も温かいものが出てこないんです。日本だと夜ご飯がメインじゃないですか。でもドイツがお昼ご飯にすごくポテトとかパスタを食べて、夜は冷たいチーズとハムと、運が良ければ
スープが出てくるぐらいだったので、食の面では苦労したかもしれないです。
-カナダはどうですか。
大石:カナダは、スクールの特徴なんですけど、下からずっと上がってきているからなかなか友達の中に溶け込めなかったです。
-上のクラスもそのまま下からカンパニーに入らずそのまま残って、みたいなのはいらっしゃるということですね。
大石:だから、昔から一緒にいた子たちの中にポンと入るのはなんか難しいというか。みんな優しくしてくれるけど、なんか溶け込めなかったですね。
-同級生というか、同じクラスに日本人の方、どれくらいいらっしゃいましたか。
大石:カナダのときは、女の子が1人が男の子が1人ですね。
-カナダはだいぶ冬は寒かったりしますが、その辺は大丈夫ですか。
大石:すごい寒かったです。学校でシャワー浴びて帰るんですけど、ちょっとでも濡れていたら凍るんです。眉毛とか前髪とか、出ている部分が凍って、すごい寒かったです。
-学校の近所に住んでいたんですか。
大石:メトロとバスで20分ぐらいのところですかね。
-そこはご自身で探されたのですか。
大石:学校の担任の先生が探してくれて。三つぐらい探してくれて、ここら辺はどうだ?って探してくれたんだと思います。
-ヨーロッパと北米のバレエ学校に行かれて、今も現役でご活躍されて、今後留学したいと思っている方へアドバイスできることがあるとすれば、どういったことをアドバイスされますか。
大石:こんなこと言ったらいけないかもしれないけど、視野を広くして、留学したから別にダンサーにならなくちゃいけないわけでもないし、留学して、もしかしたらほかの道が見つかるかもしれないし、海外に出たら、本当に目を開いて、心を開いて、目に映る
もの全てだし耳から聞こえるものは全てだし、いろんなことに興味を持って、踊りだけにこだわらず、全てを体感してほしいなと思います。やっぱり留学したから全員ダンサーになれるわけじゃないです。周りにも留学して日本に帰ってダンサーやってない子って
いっぱいいるんですよ。自分が留学していたときはそれが全てだと思っていたけど、大人になって、それが全てじゃないし、もちろん夢を持って留学する気持ちもわかるし、ダンサーになりたいと思って留学する気持ちもわかるけど、それだけじゃないし、だけど
留学して、海外でいろいろ経験して強くなったことは無駄じゃないから、バレエをしに行くけど、バレエ以外の町の風景とか音楽とか人とか、友達を作るでもいいし、ほかのことも目を向けられたらいいなと思います。自分がそう思ったので。
-それこそ、技術を学ぶだけだったら日本でも十分できますよね。
大石:そう。でもなんで外国に行くかって、やっぱり本物を感じるためであって。日本にはないものとか日本じゃできないことをいっぱいやると。
-最後に一つお伺いしたいと思うんですが、大石さんの今後の夢というか、今後どういう方向に進まれようとしていらっしゃるのか、伺ってもよろしいですか。
大石:踊れる限りは海外で踊りたいです。そのあとは、今興味があるのが、カンパニーでの指導、バレエミストレスです。ダンサーにレッスンしたりとか、リハーサルを見たりとか、振り付けを教えたりとか、そういう仕事に興味があるので、誰かの、例えばジョ
ンノイマイヤーの作品を伝承、伝えていくような仕事をしたいなと思ってます。なので、誰かの助手じゃないけど、誰かに付いて、その人の作品を途切らせないように次の世代に伝えていくような、そういう仕事もしたいなと思っています。海外ってカンパニーに
関わる全員がプロフェショナルとして認められているから、それこそ衣装を作る人もそうだし、衣装を運ぶ人とか、ピアニストとか、事務所のバレエを踊れない人たち、書類をする人だったりとか、そういう全員がプロフェッショナルとして認められているから、
日本だと雑用係という感じになっちゃうけど、全員がプロフェッショナルとして働いているので意識も高いし、お互いに求めることが違いますよね。プロフェッショナルとしてお金もらっているんだからここまでやりなさい、っていう。ダンサーに対してもそうだ
し、ダンサーからバレエミストレスとかディレクターに対しての要求もそうですね。
-お忙しいところ、いろいろ貴重なお話いただけてありがとうございます。今後の活躍を楽しみにしております。
大石:ありがとうございます。