Interview

対談・プロに聴く

あなたにぴったりの留学を
W
F
宮河愛一郎さん/ダンサー・俳優/日本宮河愛一郎さん プロフィール関東国際高等学校演劇科卒業後、単身渡米ニューヨークAiley Schoolに留学。GAPのTVコマーシャル「West Side Story」出演など様々な舞台でキャリアを積む。 劇団四季のアイーダのオリジナルキャスト。日本唯一の公的資金によるプロフェッショナルダンスカンパニー"Noism”ダンサー兼バレエマスター、ワークショップ担当を任され国内ツアーほか、海外7カ国、10都市での公演すべての作品に8年間出演してきた。 2013年夏、Noismを退団後はダンサー、俳優として舞台に立ちながら御茶の水女子大学、桐朋学園芸術短期大学などで振付指導に力を入れている。
-宮河さんの経歴を教えて下さい。
宮河 関東国際高等学校演劇科に入学しました。そこで、歌、演劇、踊りを勉強したのちにニューヨークに行きました。
-なぜニューヨークを留学先に選ばれましたか?
宮河 日本でチャヤ・マサズミさん、アルビン・エイリーのアーティストディレクター、彼のワークショップを新聞で見つけて応募したら、通ったので受けました。それが凄く楽しかったんですよね。振付に動きがあり空間を凄い動いて、これがモダンダンスなんだって初めて知って、それと同時期に元アルビン・エイリーのダンサー、クリストファー・ハギンズと出逢っていて。やっぱり面白くて、そんな出逢いがダブルだし、高校の時に一度ニューヨークに遊びに行って、その時から気になってたし、そっちの方に自分でも電波を発してたのかもしれないけどビビビと来まして、それでニューヨークを選びました。
-ニューヨークでの生活を教えていただけますか?
宮河 エイリーは一日だいたい3クラスあって、クイーンズに住んでたのでそこから学校まで通ってました。学校のクラスが終わった後は外のオープンクラスに通ってました。他はよく舞台を観てましたね♪
-エイリーではどのようなクラスを受けていましたか?
宮河 ホートンがメインなんですが、バレエやジャズ、ウエストアフリカンなど選択もしてました。
-エイリーにはどれくらい在籍してたんですか?
宮河 1年居ました。そのあとペリダンスに転校してそこでまた1年くらい勉強しました。その後ダンススペースでリリーステクニックなどを学びました。
-エイリーではサーティフィケイトを取得したんですか?
宮河 いや、僕はインデペンデントプログラムでしたからオープンみたいな感じですね。
-ペリとエイリーの違いを教えて下さい。
宮河 エイリーは黒人が多いし、上にカンパニーがあるし、規模が違うかもしれませんね。スクールショーもたくさんお客さん入ります。 今のペリスタジオは違うかもしれませんが、当時はそういった意味でエイリーは違いました。
-ペリではどれくらいクラスを受けてましたか?
宮河 1か月単位で消化するクラス数があって、その範囲内でバレエとかいろいろなクラスを受けてました。
-留学前に語学の勉強とかしましたか?
宮河 僕は一切しなかったですねぇ~w 本では勉強しました(笑) ただ白タクに乗ってはいけないとガイドブックに書かれてたにもかかわらず、空港着いて初っぱなから白タクに乗っちゃいました(笑)
-どれくらいで語学には慣れましたか?
宮河 ニューヨークに行って2年後には現地のカンパニーで仕事してました。その頃には慣れてましたかね?! それもアジア人のディレクターのカンパニーだったんで、外国人が多かったからコミュニケーションがとり易かったってのもあったと思います。
-エイリーに居た時とかはお友達とか出来ましたか?
宮河 チャヤさんに、セガワ・カンジさんを紹介していただいて、彼にお世話になりました。いろいろ勉強させてもらいました。
-エイリーとペリ、ダンススペースへ行って良かったと思うことを1つずつ教えていただけますか?
宮河愛一郎さん/ダンサー・俳優/日本宮河 まずエイリーではアフリカンアメリカンの方々は技術以上の楽しむ精神、エモーションに触れて自分はこの世界が好きだなぁ~って思えたことですかね。最初にそこで学べたことに感謝ですかね♪自分自身の踊りも評価してくれて。これであぁ~いいんだ♪って思えたし、存在意義みたいのも若いうちに認めてもらえたのはよかったですね。 ペリはバレエやネオクラに近いダンスを間近で観れたり、イガール・ペリさんの作品に参加させてもらったり、ヨーロッパや海外から振付師を呼んでいろんな作品にふれられたのがすごく良かったです。 ダンススペースは床技だったり、リリース、即興、コンタクトインプロを教わりました。それが衝撃的で僕はハマってしまって、いまだにやってますね、人生の転機になりました。
-日本と海外のダンスの指導方法の違いがあったら教えて下さい。
宮河 やはりメソッドとかに沿って教えてるのが海外かもしれませんね。ホートンテクニック、グラハム、リモーン、リリーステクニックって。日本はメソッドってのがあまりないような気がします。
-学生時代の休みはどうしてましたか?
宮河 ホームパーティーに行ったり、公園に行ったりしてましたね♪ニューヨークのパーティー文化はいいですね、とても楽しいです。ワインとかを持って行くと料理をたくさん振る舞ってくれるんで(笑)
-ニューヨークの学生の時の一番の思い出はなんですか?
宮河 僕は19歳で居たんですけど日本人の年上の人たちとつるんでて楽しかったですねぇ~日本人コミュニティーの中で世代を超えてぐっと仲良くなれたのは大きかったですね~旅先での出逢いみたいな感じですかね。
-留学中苦労した点とかありますか?
宮河 洗濯とか自炊は苦労しましたかね。あとテロの時にニューヨークに居ました。学校に行こうと思ったけど、テレビ付けたらえらいことになってて、外見たら煙が立ち込めてて、殺伐としてて、戦争モードになってましたね。戦車が出て、ライフルを持った人が居て人の目も血走ってて、そんな中で生活してたら、さすがにちょっと病みました。飛行機の音も嫌で。あれを聞くとドキドキしてパニックになりました。 あとは地下鉄でギャングの抗争に巻き込まれて横にいた人が撃たれたり、火花が見えて、パッと階段を見たら笑いながら撃たれて転がり落ちてたり、その時は固まってしまったけど必至で身を屈めました。あとマンションの下で人が撃たれて何か見ましたかって部屋にFBIが来た時はその人たちの体のデカさと怖さにまずビビりました黄色いテープDENGERで囲まれアパートから外を見ると野次馬がみんなギャングみたいに見えましたよ。身の危険は日々感じてました(笑)
-アパートはご自身で探しましたか?
宮河 ルームメイトと探しました。でもみんな怖がっちゃって居なくなっちゃったんですよね。アパートの前の木にスニーカーがかかってるとドラッグディーラーさんの印らしいって聞いて、パッと外みたらウチのアパートの前の木におもいっきりスニーカーが引っ掛かってて「あ、やっぱりそうなんだ」って確信しました。(笑) でもそこ安かったから4年間住んでましたw
-いつ頃からプロになろうと考えましたか?
宮河 ニューヨークに行ってからかなぁ~、それで食べていけるようになりたいとは思うようになったのは。ニューヨークに行って3カ月くらい経って、初めて受けたオーディションがギャップのコマーシャルで1500人の中から選ばれてそれで味をしめちゃったんですよね。プロのダンサーを目の前にしてダンスで仕事できたらいいなって思うようになりました。
-アメリカで様々なお仕事をされてましたが、日本での仕事と違いはありますか?
宮河 あまりないですかね、もう今は海外で活躍してたダンサーが日本でだいぶ活動してるから。意識レベルも差はないですかね。
-日本に戻って仕事をしようと思ったきっかけはなんですか?
宮河 海外に居ると戻るタイミングを失うんですよ。ずるずる暮らしてる人がけっこう居ると思うんです。なかなか帰れない。夢を叶える為に海外に行って、なかなか叶えられずに帰国しずらくなる。そんな中僕はノイズムに入いれたんで帰ってこれましたね。僕はずっと日本に憧れながら海外で暮らしてた感じですね。
-ヨーロッパのカンパニーには行こうとは思いませんでしたか?
宮河 そうですね、最初にみたのがアルビン・エイリーでエモーショナルだったからっていうのと。ヨーロッパは旅行では行ったけど、キリアンとかフォーサイスとかローザスとかは知らなかったから他に迷うことはなかったですね。
-今後どのような活動をお考えですか?
宮河 フリーになっていろんな出逢いが増えてて、今は教えとか振付が楽しいですね。舞台に立たないんだけど、表現者としていろんなダンスとの関わり方があっていいなぁ~って思ってますね。舞台人としてはまだ夢を諦めたくないので、ダンサーや俳優をしていきますけど。
-振付、指導で心がけていることがあったら教えて下さい。
宮河愛一郎さん/ダンサー・俳優/日本宮河 楽しい作品を創りたいですね。単純に笑えるとかじゃなくて、演者が楽しめてるか、写真をパシャッと撮ってその笑顔が作り笑顔じゃなく本当に心から笑えてるか、そういう空間を作りたいですね。
-これからプロを目指すダンサーに一言お願いします。
宮河 日本でプロになれるはごくごくわずかですよね、海外はもっとチャンスや仕事がありますが、是非日本のダンス界を盛り上げてほしいですって自分も頑張りますが(笑) -留学をする人が居たらアドバイスをお願いします。 ある程度情報を収集して行った方がいいですね。あと語学はしっかりやった方がいいですね。喋る喋らないに関わらず、その土地の言葉が理解できたら留学は100倍くらい楽しいと思いますよ。僕はあまり喋れなかった方なんで、、、(笑)
本日は貴重なお時間をどうもありがとうございました。
http://aiichiro-miyagawa.com/