秋山 夏紀さん/バレエ教師秋山 夏紀さん/バレエ教師 プロフィール・沼津東高校卒業
・英国ロイヤルバレエスクール留学
・フェリス女子学院大学中退
・身体均整師(ボディデザイナー)資格取得
・バレエダンサー専用の整体師・トレーナーとして活動
・平成26年 K-BALLET SCHOOL Teachers Training Couse合格
-まず初めに先生の簡単なプロフィールとどういうご経緯でバレエを始められたのかをお話いただけますでしょうか。
秋山先生:始めたのは4歳のときです。静岡県のバレエ教室で始めまして、始めた頃からバレリーナになりたいと思っていたんですが、プロを意識しだしたのは中学ぐらいで、外部の講習会に参加し始めたりしました。そのときの先生の勧めで、中学校の終わりにロイヤルバレエスクールのサマースクールのオーディションが、もう提出期限は切れているけどダメ元で出してみる?と言われて、写真オーディションだったんですど、提出しましたら合格通知が来ました。それが1999年だったと思うんですけど、それでサマースクールに高校1年の夏に行くことが決まりまして、サマースクールだけ行って2週間で終わりと思っていたんですけど、1週間目のときに当時ディレクターのゲイリーン・ストック氏の部屋に呼んでいただきまして、あなたがもし本気でダンサーを目指すなら入学を許可するけれど、どう?っていうお話をいただいて、スカラーは出なかったんですけど、その年の9月から、来月から来ていいけどどう?というお話をいただき、それで9月から入学となりました。
-芸術監督直々に呼ばれるというのは素晴らしいですよね。
秋山先生:いろんなパターンがあるんですよね。
-締め切りに間に合ってないけど、送って、それで実際に行かれたという。何か導かれていたと感じますね。
秋山先生:今こうやって教師になってみるといろんなところを、それこそ生徒に心配だから受けさせたり、ほかにも考えなさいよ、と言っている自分がいるんですけど、その当時、私が子どもの頃って全然情報がなくて。しかも静岡県っていう地方で親も詳しくなかったので。ロイヤルバレエスクールとオペラ座ぐらいしかバレエ学校を知らないんですよね。あとロシアぐらいしか知らなくて。これがサマーのオーディションで、これが通年のオーディションで、という感覚も知らずにそのときは決まりましたね。で、一応3年間行くつもりで行ったんですけど、パドドゥクラスの中で、あまりないことと今は言われるんですけど、男の方に乗っけてもらうショルダーリフトという練習中に私が後ろに落下してしまいまして、お尻から落ちた状態で、それから診断が実際に出たのが10年後ぐらいになるんですけど、骨の周りの硬膜、脊髄の膜が傷ついていまして、脳脊髄液が漏れる脳脊髄液減少症っていう病気がそこから発症してしまっていたんです。その患部、お尻の痛みはヒビが入った程度の痛みだったんですけど、頭痛と船酔い状態の吐き気とだるさというのがずっととれなくて、まともにレッスンがそこから受けられなくなってしまったんです。それが留学してから10カ月後ぐらいです。留学で来て精神的に病んでしまう子って珍しくないんですね。それと勘違いされてしまって、鬱病だということで、すごくケアしてくれるロイヤルは整ったちゃんとした学校だったんですが、、的を得た診断が下りず、結果的にダンサー自体を諦めて留学から1年半後ぐらいに帰国してしまうんです。戻って、日本の先生は、まだ17歳なんだからダンサー目指せば?と言ってくれたんですけど、なんせ体調が悪くて、自分でも、鬱病と言われたので鬱病なのかな?っていうことで、もういいです、やめます、でもバレエの先生にはなりたいかもしれない、みたいな感じだったんですけど、そこからいろんなことがスイッチオフになった状態で、高校もとりあえず卒業したんですけど、卒業したときに、バレエの先生はおこがましいからサポートする人になりたいと思いました。大学は英文科に進んだんですけど、それより自分が重視したのは、国家資格ではないんですけど、民間の整体の専門学校に入りまして、ケガした子とかのトレーナーというか治療家を目指し始めました。2年の整体の専門学校に行きまして、その頃、やっとその病気の診断が日本で下りたんです。それで手術をしたら体が元気になりまして、それでもう一度、バレエの道に返り咲きたいというよりは、整体ということで、バレエの先生に頼んでアシスタント、本当にバレエ教室のアシスタントと、取った整体の資格をどう生かせるだろうかというのを考え始めたのが二十歳すぎぐらいでした。そのとき静岡県にいたんですけど、そのあと、自分の能力がどんなものか、あと何を勉強したいのか探りたくて、首都圏で2、3年ほどバレエのフリーランスの教師をしたり、整体というか、マッサージ、コンディショニングをしたり、トレーニングの勉強もしたくて、加圧のパーソナルトレーナーをしたりという生活をしました。そのあと、静岡県に戻って、本当の白衣を着た整体師を、5000人ぐらい治療したらいいかなと自分で決めて、整体院に就職しました。整体師を2年半ぐらいして、そこの整体院に勤めている間に縁あってバレエ教えてほしいんですけど、と言われたことがきっかけで今に至ります。今はバレエ教室を開設してから5年目になります。
-本当すごくいろいろご経験されて今に至るんだなというのが今のちょっとしたお話ですごくわかりました。その後、後遺症は大丈夫なんですか。
秋山先生:今という意味では大丈夫ですね。治療中というふうに病院では言われているんですけど、特に大丈夫です。
-本当に治ってよかったですよね。
秋山先生:そうですね。ダンサーに戻るほどは治せなかったので。でも、日本人の男性ってパドドゥ組むときにすごく丁寧だしうまいですよね。それ自体も知らなくて、事故があるなんてこともあまり感覚的に、日本人の先生方としか組んだことはなかったので、こういうことあるんだ、っていう。私のときも日本人の男の子が近くにいてくれて、僕なら絶対こんなことしないよって言っていたんですけど。でも、お互い生徒なんだよな、そのときはそういうふうに思いました。責めるとか、恨んでないんですか?と言われるんですけど、というよりは、お互い未完成なんだな、男性もこういう時期あるんだな、って感じで。お互いにいろんなことがありますよね。
-そのケガを経て、整体という体と向き合う方向に行こうと思ったのも、そういうご経験を何か生かしたいという思いからなんですか。
秋山先生:そうですね。苦しい気持ちがわかるから支えたいというのと、もう一つ衝撃だったのがロイヤルの整ったサポートシステムというんですかね。フィジオセラピストも常駐して、その方たちに経歴を聞くとみんなダンサーをちゃんとして、ダンサー生活を終えたあと、クラシックバレエの専門の、日本で言うと理学療法士みたいな感じですよね、大学に行って、大学で資格がとれて、国家資格をとって、バレエのフィジオセラピストとして活躍している。それをロイヤルバレエスクールが雇えている。その人が、いわゆるバレエの先生と連携をとって子どもたちを支えているという教育システム自体にすごく衝撃を受けたんです。自分が経営的にそこまで作れるとは思わなかったので、自分一人で何役できるのかなと。結局、そこを真似したくなったというか、それが大きかったですね。
-日本でもそういうことを採り入れようという動きがあるのは本当最近ですよね。
秋山先生:そうですよね。最近すごく盛んですよね。
-先生が当時いらっしゃったときはまだ日本ではそういうのは浸透していなかったですしね。
秋山先生:全く浸透していなくて、誰に聞いてもわからなくて。インターネットで調べてみてもわからなくて、バレエ解剖学とかバレエ医学とか、今それで検索したら何件も引っかかるんですけどそのときは全くなかったんです。
-サマースクールに行かれたときのお話をお伺いしたいんですが、日本人の生徒さんはどれぐらいいましたか。
秋山先生:日本人は私を入れて3人でした。男の子1人で、女の子1人と私で、男の子はその年の9月からロイヤルの入学が決まっていた子でした。
-2週間のレッスンではあったんですが、日本でやられていたレッスンと、なにか違うなと感じられた部分はありましたか。
秋山先生:その当時は日本と違うという意味では、ポジションにすごく厳しいなという感じはしました。今はその意味がわかるんですけど、そのときは、クドゥピエはここ、ルティレはここ、ってそんなにそれまで深く考えないでやってきたなとは感じました。
-2週間のサマーで、寮の生活ですよね。お食事や生活の感じはいかがでしたか。
秋山先生:食事は、サマーのときは朝昼晩寮で出してくれたと思うんですね。なので、自分でスーパーに行ったりする必要はなくて、フルーツと野菜とお肉と、という感じで。私は、まあこんなものか、っておいしくは思わなかったです。昼はキャンティーンで自分で選べたのかな、という感じです。
-実際に9月からご入学されて、また寮での生活ではあったと思うんですが、カルチャーショックなど苦労された部分はありましたか。
秋山先生:数えきれないほどあったと思うんですけど、学校に入ると、食事が一切自炊になったんです。サマーのときの感覚で私は行っちゃったんですけど、スーパーに行って買い物をして、全部自炊をしなきゃいけなくて。その辺は、何を冷凍しなきゃいけないのか、何を電子レンジで調理できるのか。日本ではある程度料理の準備はしていったんですけど、食材も違うのでその辺が苦労というか、大変でした。あとは、すぐ決まっちゃったので語学も私は大して準備をしていかなかったので、行ってから1日に起こったことの復習を、毎日英語の勉強をしていたんですけど、1日中、この単語わからない、とか、この言い回し、自分はわからないっていうのを全部メモしておいて、家に帰ってから辞書とか、友達に聞いたりしながら勉強していました。バレエ学校の中で使う英語は2カ月ぐらいで、なんとなくとっさのことも含めてわかるようになったんですけど、それ以外の、例えば銀行口座作るとか、それ系は難しかったですね。というのと、あとは入り組んだ会話、友達の悩んだときの会話とか、泣きながら話している会話を聞き取るのは、やはり半年ぐらいはかかったなかという意味で、人間関係も今思うと、意思の疎通が難しかったなとは思います。語学どれぐらい必要ですか?って私の生徒も世界を目指す子がちょこちょこいると聞かれるんですけど、バレエのレッスンはある程度で受けられるんです。ただ、会話を人として、人間関係を構築していかなきゃいけないバレエレッスン以外での場所で、そっちでもやれないとバレエ学校という場所で楽しく生活ができないので、そっちはもうちょっとシビアに準備をしていくべきだったと感じました。あとは、バレエの話なんですけど、先ほども言ったように、サマーはそれでもまだ通年の、本チャンの入学から比べたらフリークラスだったなと感じたんです。もっとポジションに対してうるさかったんです。あとは、アンディオール、私が基礎だと思っていたことって、私の中でそれまで基礎というのは、いわゆるシンプルなことっていうんですかね、簡単なこと、もしくは自分が超えたんじゃないかって勘違いすらしていた気がするんですけど、基礎っていうのはずっと続く、永遠に難しいものなんだっていうのを入ってから改めて感じて。タンジュとかデガジェとかにものすごい時間を使ったんです。プリエとか、内腿の使い方。英語ですごく印象的なのは、タンジュはかかとから先に出してつま先から先に戻る、っていうそれぐらい英語でスラスラと言えるようになっておきなさいよ、とすごく叱られたのがめちゃくちゃ記憶に残っているんですけど、それを日本語でも言ってこなかった私にとっては難しかったんです。でもこういう教育を何年間も、ロワスクールで受けてきた子たちと肩を並べて、ここからスタートしなきゃいけないっていう中で、4回転回る、とかが世界の壁じゃなくて、これが世界の一流のバレエ教育なのか、というのを、雷落ちるぐらい感じて。今まで何をやってきたんだろうという感じで、初めてバレエのポジションとアンディオールの基礎に向き合った気がしました。その辺が、慣れる、慣れないというよりは、身につけてきたものの自分の薄さを痛感せずにはいられなかったという。でもこれ、留学した方に聞くとみんなそう言うんですけど、そうすると日本のバレエ教育自体が、っていう話になるので、それが今の私につながるんですけど、でもそのときは、私だけ遅れている、私だけなんちゃってバレエやってきた、という感じでした。だから日本で言う、留学するとき基礎が大事ですよ、とか、基礎ができてからね、っていうその先生たち、私も含めて使ってらっしゃる基礎という言葉のニュアンス自体がもしかしたら世界とずれがあるのかもしれないですよね。
-学校でのスケジュールは大体平日は月曜日から金曜日の朝から夕方まですか?
秋山先生:そうですね。朝から4時、5時過ぎぐらいまでなんですけど、その当時は週の半分ぐらいは午前中アカデミックで、学校の勉強だったんです。なので例えば8時半とかに行って、留学生と現地の子と分けられて、両方とも普通の座学の、数学とか英語の学校の授業なんですね。留学生のアルゼンチンの子とか、台湾の子とか、私など日本人の子は留学生チームでひたすら英語の授業で、ランチをしてから12時半、1時ぐらいからバレエのクラシックのクラスから、例えば次はコンテンポラリーで、コンディショニングでピラティスをやって、という感じでした。で、朝の9時からバレエレッスンという日もありました。土曜日が半日で日曜日が休みという感じでした。なので学校には朝から夕方まで。
-お休みのときはどのように過ごされていましたか。
秋山先生:お休みは大体友達とゆっくりとスーパーにお茶しがてらに行って、食材買って、帰ってきて、ですかね。それか、お出かけするにしてもロンドンにゆっくり買い物行ったり、あとバレエを見に行ったり。バレエを見に行くときは土曜の夜とかに行ったり、友達と過ごしていました。
-オペラハウスとか見てらっしゃると思うんですが、ご覧になられてどのように感じられましたか?
秋山先生:ロイヤルバレエ団が上演している作品の中で、自分の予想以上に古典じゃない作品、コンテンポラリーまでいかなくても、自分が知っている作品がいかに少なかったかということで、こういう作品を上演しているんだ、っていうのを、すごくレパートリー多くというか、コンテも含めて、そのときは意味わからないのもやっているんだな、なんて思ったんですけど、すごく多彩なバレエ団なんだな、というのを感じました。あとは、ロイヤルバレエスクールの子はバレエのチケットとバレエ用品、フリードのバレエ用品を3割で全部購入できて、特別扱いなんだな、ありがたいなと思ったのがもう一つと、見に行かせてもらうときは、席自体はよくないんですけどすごい安い金額で見れました。足しげく通っている子もいたんですね。私はそんなに熱心に行ってなかったんですけど、本当に熱心に行っている子もいて、ほぼ立ち見だけど行ってくるよ、なんて言って。見るということがすごく勉強になるんですけど、日本ってそんなに勉強になるほど行けないんですけど、ピンキリで、安いチケットで見させてくれるんだなという国の文化の差を感じました。ちょうど私のとき、新しいオペラハウスが完成した年で、こけら落としのパーティでデフィレのような作品で出演もしたんですけど、パーティみたいなのもやった記憶で、そのときはオペラハウスで、始まるまでシャンパン飲んだり、かなり豪華な感じでやっていて、バレエ史ってチラッとしか勉強したことなかったんですけど、ちょっと豊かな人たちのお食事したりしながら、さらにもっと楽しむみたいな、そういう世界観なんだなと。何というか、文化丸ごと衝撃的に受け取ったという感じでした。愛されてる文化なんだな、一般の人に大事にされているんだなと感じました。
-お食事して、観劇して、お酒を飲んで楽しむという、社交界の流れじゃないですけど、そういうのがありますよね。
秋山先生:そうですよね。日本人だと、バレエ見たことある?という感じで、ないと答えるかバレエ関係者があると答えるか、それぐらいなんですけど、そうじゃない、社交界というか、イギリスの人たちの生活の一部にバレエがなっている感じとか、王室とつながっている感じとか、マーガレット王女がみえた公演のときもあったりとか、切り離されてないっていうところにびっくりしました。
-先ほどオペラハウスのほうにご出演されたとおっしゃっていましたが、いかがでしたか。
秋山先生:すごく広くて、舞台袖からの裏側、バックヤードがすごく天井も高くて広くて。そのときは何かの作品はやらなかったので、総勢皆でチュチュ着て出てくる感じだったのですごく広くて。オペラハウスの中のスタジオもものすごいたくさんのスタジオが迷っちゃうぐらいあって、きれいで、スクールも今はそこなんです。私のときはまだ、移行するよというときに私は帰ってきちゃったので、その前のバレエ学校はバロンズコートでロンドンよりちょっと離れていたところだったんですけど、最新の施設という感じでした。クラシックな感じというよりは新しい感じでした。
-その後、先生になられてもう5年ぐらいとおっしゃっていましたけど、留学したいという生徒さんに向けて何かアドバイスはございますか。
秋山先生:いくつかあるんですけど、一番自分の生徒にも言っているのは、もしかしたらみんなが当たり前と思っているアンディオール一つがダンサーの価値を決める、じゃないですけど、そこでダンサーの違いを見られるから、顔の位置から足の使い方から、ものすごく私は細かく指導するから、その指導の細かさが当たり前だっていうその感覚、その指示にスピーディに自分が応えるっていう、そういうレッスンにするように、というのは口酸っぱく言っているんです。というのは、今私はチェケッティを学んでいるんですけど、その前はRADも学んでいたんですが、メソッドが違うとバレエっていろんなが変わっちゃうじゃないですか。でも唯一一つの、これなら世界中通用するというメソッドは私の結論では無いなと思ったんです。ただ、そのメソッドが示しているところぐらいの細かさで、今はチェケッティとかロイヤルメソッドの軸でやっているんですけど、そこまで応えられるダンサーたちを育てていればメソッドが変わっても、今まではこれだ、これを変えるんだ、って変えられると思うんです。ところがそこまでの細かさでの指導も受けたことがないし、そこまで意識したことがないような感覚だと対応できなくなると思うので、ポジションとか体の使い方ということを細かすぎるぐらい、細かく意識を日々するということが一つと、表現というのが突然本番だからできるものではないので、ピルエットならピルエットのワルツの音楽を聴いて、最大限自分が表現をする、毎回毎分するという。いつスカウトマンがあなたの踊りを見ても、自分で今日の踊りは満足できた、自分が今日の踊りは勝負をかけてできた、って思えるレッスンを毎回積みなさい、本番だと思ってやって、っていうのは言っています。日本人の子たちはコンクール上手だけどレッスン下手、って言われちゃうじゃないですか。なので、その辺はすごく力強く鍛えています。もう一つは語学ですね。フランス語もドイツ語も英語もやるのは不可能だと思うけど、一つお金の掛からない方法で、本当に留学を目指すならお金の掛からない勉強の仕方を始めなさい、というのは言っていますね。バレエとお金がセットなんですけど、ある程度やってから英会話の塾に行くとか、ある程度やってその姿を見たお母さんが、出してあげようか、っていう流れが成功につながると個人的に思うんですけど、お金掛けたら掛けた分だけよくなると親子で勘違いしちゃう人もいるので、そういうことでは全くないというのは人間教育でもあるので、言っています。お金の掛からない努力の仕方をまず始めなさい、って。その方法はいくらでも教えるから、というのは言っています。レッスンと語学と、あともう一つは、私が結構無計画な留学だったので、今たくさん情報があるから計画的に行きましょうというのを言っているんです。なぜかというと、一番留学適齢期というか、考えるのが中3ぐらいだと思うんです。中3って日本の子たちが、受験が絡まってきて一番危ない時期なんです。そうすると、中1、中2を、もう中3は受験で使えないから、っていう思いで準備をしてきて休むのと、全然準備をしてこなくて休むのと全然違いますし、そのために勉強しておくのも一つだし、バレエでここまで結果が中2の時点で出せるようになったから、中3は勉強をとらなくていいか、ということもそうだし、私自身が勉強もしてきた人なので、流れで勉強しなくなっちゃった、バレエに邁進しすぎて勉強できなくなっちゃったっていうのは言い訳にしか聞こえないタイプなんですね。言い訳を自分でするって自分が結局悲しい思いをするから、どういう未来を目指すから中1はこう過ごす、中3はこう過ごす、高校はこう過ごす、このぐらいまでには結果を出したい、っていうのを親子で必ず計画を立てましょう、と。その三者面談的なものは、プロを目指す子には私は必ずするんです。その子と一緒に時系列で線を引いて、一緒に計画を立てるということは、今足が痛いときにコンクールで無理する必要ないよね、とか、そういうふうに、かなり若いうちに結果を出さなければいけないバレエの世界なので。お金も、コンクールで全部使っちゃいましたとか、そういうふうにならないように教師としては計画を立てさせますね。それを留学で出す子にはかなり丁寧に指導します。
-先ほど、ケガなどお話出たんですが、ケガと向き合うのはどうしてもつきものだとは思うんです。どういったケアをされてますか?
秋山先生:私はもちろん整体師として治療にもあたりますし、それだと足りないときがあるので静岡県全域の接骨院と提携を結んでいまして、生徒の自宅の近くで治療してもらうのが一番と思うんです。健康保険が適用になるとさらにいいと思うので、健康保険適用の接骨院と提携を結ばせてもらって、連携をとって治療はしています。あと、そもそもケガをしにくい体を作らなければ、というのは教師の役目なので、解剖学に詳しい教師に、うちの生徒たちを世界に出すためにピラティス学んできてくれない?とお願いしましてピラティスの資格を2年、3年がかりでとってきてくれて、今は彼女のおかげで、プロを目指す、目指さないに関わらず、小学校の低学年からピラティスのグループレッスンを導入して、さらにプラスしてパーソナルレッスンも組めるようにしました。一番最初に言ったロイヤルバレエスクールのマネをしたいんです、っていう、そのミニチュア版ができたらいいなということで、トレーニングとしてのピラティスとケアとしての治療というものと、軸になるバレエというものを今スクールに盛り込んでやらせてもらっています。
-今現段階で、ロイヤルバレエのミニチュア版とおっしゃっていましたが、今後先生の目指される日本のバレエ界、もしくは今後日本と海外とのバレエというのはどういった関わりを持っていこうと思われますか。もしくはどうなっていくだろうと思われますか。
秋山先生:大きいですね、急に。私がダンサーを今してたり、プロの方の作り手側に回っていると全く違うこと言うと思うんですけど、今私の中で、アーティストの部分って1割ぐらいしかなくて、9割教育者だと思って指導をしているんです。そうすると、日本のバレエと世界のバレエとなったときに、いいお答えになるかわからないですけど、バレエという踊りのスキルをつけるということをもし今までの日本の先生方がしてきたとしたら、もしくは上流の習い事をさせるという意味合いでしてきたとしたら、その辺は私は原点に戻りたくて、茶道とか花道とか道とつくもののように、一つのバレエ道として人間をちゃんと育てたいという強い思いが今はあります。それはなんでかというと、結局日本のものではない文化である、バレエというものを背負って世界に出るとしたら、あなた何なの?っていうところ、もし英語ペラペラになっても、やっぱり問われちゃうんです。そうすると、日本人として、例えば自分の荷物はきちんと整理するとか、日本人として思いやりを持って、自分が主役をいただいてもコールドの人たちに思いやりを持って接するとか、例えばパドドゥを組んだら、相手ときちんと話をしてパドドゥを作っていくとか、人としてどう在りたいかというのを常に軸に、プラスダンサーとして仕事をするというのはどういうことか、を考えられる人、そういう人間を育てたいなと思っているんです。それが日本人がわざわざバレエをする、バレエで海外に行くときに価値をしっかりと見せてこれるポイントになるんじゃないかな、と思っていて、ただそれを覆されるぐらいのいろんな闇とか誘惑が多いと思うんです。よくご存じだと思うんですけど、お金持っている人のほうがいいんじゃないかとか、見た目がきれいだから得だとか、残念ながらバレエで進めば進むほど知らなくていいようなことを成長期にみんな知っていくと思うんです。そういう小手先の生き方ではなくて、例えばロイヤルバレエに行って、みんな私の周りがたばこ吸っていたりしたんですけど、友達がたばこを吸っていても、ドラッグやる子がいても、すごく冷たいお嬢様タイプの子がいても、自分はどう在りたいのか、って自分に問える人間性を作らなければ、英語しゃべれようと肉体が美しかろうと全く意味がないと私は信じているので、日本のバレエ教育の一端を担わせてもらっているとしたら、そこに力を入れたいなと個人的には思っています。それがもっと世界と対等にやれるようになるポイントなのかなと。以上です。
-大変貴重なお話を伺えまして、ありがとうございます。
秋山 夏紀さん/バレエ教師ナツキバレエアカデミー
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